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トナカイの森文庫
The collected reprints of novels
粉雪幻灯館
ある雪の日のことです。
煉瓦で造られた夜の町に、ほろほろと柔らかな粉雪が降っていました。
オレンジ色の街灯が、雪の降る町を淡く照らし出しています。仕事の終わった人々が街路に溢れ、各々帰路を辿っていました。
ひとりの女がブーツを雪で濡らしながら、急いで歩いていました。女は家で待つ幼い姉妹のために、お土産を買って帰ろうと思っていたのです。
母は路地に、小さなアンティークショップがあるのを見つけました。
知らないお店でしたが、窓から見える様々な品に魅かれて雪を払って店の中へ入りました。
ドアベルを鳴らして扉を押し開けると、オレンジ色の光が母を包みました。暖炉に火がくべられていて、ほっと息をつくほど店の中はあたたかでした。
店には、人形や置物、楽器や古書が、所狭しに置かれています。
「まあ、いらっしゃいませ。どんなものがご入用でしょうか?」
カウンターの中から、店の女主人が微笑みました。
女主人は艶のある銀の長い髪をしていて、薔薇のような頬とくちびるをした、とてもうつくしい人でした。母はうつくしい女主人につい見惚れて、はっと我に帰りました。
「家で待つおりこうな娘たちのために、何か見繕ってあげたいのです」
「それはようございます」
女主人はうなずきながら微笑み、カウンターから出てきました。真っ白なドレスを着た女主人はあちこちの棚から色々な品を出して、母に見せてくれました。
最初に紹介してもらったのは、精巧な細工の置物でした。
「これは世にも珍しい、氷で作られた花です」
それは見事な花の置物でした。五枚の花びらも、茎も葉も、みんな氷でできているかのように透明です。
「でもこれ、ガラスでしょう? 本物の氷だったら溶けているもの」
「いいえ、これは本物ですわ。溶けない氷で作られていますのよ」
女主人は笑みを浮かべたまま、この花の置物の謂われを語りました。
「この花は元々、万病に効くという氷の花を模して作られたものです。昔、氷の花が咲いている森に、氷の王子という魔物が棲んでいました。王子はその瞳で見た人を氷漬けにしてしまうのです。王子は好きで人を氷漬けにしているわけではなかったのですが、氷漬けにした人を元に戻す術は知りませんでした」
女主人は話を続けました。
「王子は増えていく氷の像を見るにみかねていました。王子はたくさんの氷の像に見つめられていることが耐えられなくなって、自分の身体を削ってこの花を作りました。そして、王子はそのままいなくなってしまったのですわ」
「それじゃあこの氷の花は、その氷の王子の身体でできているというの? まるでおとぎ話だわ。それにしたって、花は森の中にあったのでしょう? 誰が持ち帰って、ここに売られることになったというの?」
女主人は笑みを浮かべたまま言いました。
「それは、営業上の秘密ですわ」
次に紹介してもらったのは、作りの凝った、愛らしい女の子の人形です。
六頭だちの白いトナカイが大きなそりを引いていて、そのそりに栗色の髪の、真っ白なドレスを着たむすめの人形が乗っているのです。
「こちらは、トナカイのそりとセットのビスクドールで、服のレースも本物ですのよ」
「このお人形、どこかご主人に似ているわね」
「それはきっと、ただの偶然ですわ」
「これにも、何か謂われがあるの」
「ええ。よろしければ、お話しいたしましょう」
女主人は再び語り始めました。
「これはある旅人が、昔出会ったものを職人に作らせたものです。その旅人は、冬の森の中で最愛の愛娘に似たうつくしいむすめを見たのです。それがちょうど、この人形のように白いトナカイでそりを引かせていたというのですわ」
女主人はいたずらっぽい笑みを浮かべました。
「でも、ふしぎなことがひとつあるのです。その旅人が行き合ったのは、その人の望む姿に化ける魔物で、魔物に誘われてしまった旅人は、二度と帰ってこなかったのだといわれているのですわ」
母は首をかしげました。
「それじゃ、そのお話はどうやって伝わったというの?」
女主人は微笑んだまま言いました。
「それも、営業上の秘密ですわ」
次に紹介してもらったのは、大きな絵です。
雪のように白い肌と銀色の髪、白いドレスのうつくしいむすめが、微笑んでいる絵でした。
「これ、ご主人にそっくりの絵ね」
「これは、氷でできたお屋敷に飾ってあったあるむすめの絵ですわ」
女主人は、この絵の謂われも語ってくれました。
「昔、強い力を持った魔法使いが氷のお屋敷を作って住んでいました。その魔法使いは最愛の娘を早くに亡くしてしまい、どうにか娘の面影を残そうと、魔法の力をこめてこの絵を描いたのです。魔法使いが亡くなってから、絵はお屋敷の中に飾られたままでした。けれど、ある旅人がそのお屋敷にやってきて、絵の中の娘に恋をしてしまったのです。旅人は絵の娘と離れたくなくなって、氷のお屋敷で暮らすようになりました。けれどとても寒いお屋敷の中では長く暮らせなくて、旅人は間もなく凍死してしまったのです」
女主人は話を続けました。
「それから何人もの旅人がやってきて、絵の娘に恋をして暮らすようになるのですが、寒さに耐えられなくてみんな死んでしまうのです。これは何人もの人の命を奪ってきた、呪いの絵なのですわ」
母は絵で微笑むむすめが、次第に気味悪く思えてきました。
そして、絵とそっくりの姿をした女主人も。
「そんな気味の悪い謂われのものはいらないわ。娘たちのお土産にできないもの」
「まあ、それは残念です」
女主人はうつくしい笑みを浮かべたまま言いました。
それはまるで、物語に登場するような、雪の精のようでした。
母は気味悪くなって、早く店を出たいと思いました。そして買いたいものはないと言って、足早に店を出ていきました。
外に出ると、穏やかな夜の町の景色が広がっていました。白い息を吐きながら行き交う通行人を、オレンジ色の街灯が照らしています。
空からは粉雪が、舞うように降っていました。
母はふと後ろを振り返り、ぎょっとしました。
そこは、明かりもない埃と蜘蛛の巣だらけの廃屋だったのです。さっきまであったはずのアンティークショップは、影も形もありませんでした。
先程の出来事は一体何だったのか。
母にはわかりませんでした。
けれど、きっとあのお店にあった品々は語られた通りの不気味な謂われがあって、女主人も、きっとただの人ではなかったのです。
あの店に留まっていたらどうなっていたのか、母は怖くて考えられませんでした。
母は最愛の娘たちに、チョコレートケーキを買っていくことにしました。
濃い茶色のケーキの上に、雪のような粉砂糖が降りかかっている甘いケーキです。母は帰路を辿り、娘たちが待つ家へ帰っていきました。
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