top of page

プリュイ・シュマン

 この国の森の奥に、雨の降り止まない土地があるという。
 そこでは必ず雨雲が立ち込め、日も差さず、湿気て冷えた空気が立ち込め、雨が降り止むことはないのだという。
 せっかくこんな果ての国まで来たのだから、いっそのことそれを見てやろうとわたしはその地へ足を踏み入れた。森の細道は滅多に訪れない旅人を待つように、細く奥へと続いている。

 この道は古くからこの地にあるらしいのだが、この道を通った者の多くが身体を壊すらしく、人々はこの道分け入らないという。
 何故身体を壊すのか、この道を教えてくれた近在の者に尋ねてみた。

「この国では、水の魔力に当たって倒れた人を『水が濃くなる』『水を含みすぎる』ともいう。水は万物の潤いだが、多すぎれば生き物を殺す毒になる。旅人さん、雨の小道――プリュイ・シュマンを通るなら気をつけなさい。あそこの雨に決して直に当たってはいけない。あんたもきっと濃くなるよ」

 その不思議な小道には獣の気配すら感じなかった。動物にもきっと毒になってしまうのだろう。だが植物は雨に打たれ続けてもその緑を繁らせ、静かにその場に佇んでいる。土は雨を吸い込んで柔らかく、ふしぎと水溜まりはひとつもできていなかった。
 村人は古い傘を譲ってくれた。防寒具や帽子で肌を覆っても限界がある、傘がないと自殺行為になる、と言って。紙と木でできた見たことのない傘だった。紙には油に似た塗料がまんべんなく塗られているようで、それで雨水を弾く仕組みらしい。

 わたしは異国の傘を差して、その小道に足を踏み入れた。
 今まで晴れていたはずの森の中は、まるで別の世界に迷い込んだかのように、唐突に雨が降り始めた。霧が周囲を覆い、今まで感じたことのない濃い雨の匂いと湿気た空気が纏わりつく。
 傘紙の上に雨粒が次々と落ちてくる。わたしは身を縮ませ、雨に当たらないようにしながら小道を進んだ。濃い白い霧が霞のように立ち込めている。辺りを見回しても白い霧と雨しか見えなかった。傘紙に、葉に、雨が当たる音が淡々と響いた。

 どれくらい歩んだだろうか。
 小道はそう長くなかったようで、やがて雨脚は小さくなり、霧も晴れていった。
森を抜けると、雨の小道を通ったのが嘘だったかのようにからりと晴れていて、鷹の声が空に響いていた。
 わたしは雨の小道を一度振り返り、港を目指した。

bottom of page