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プリマヴェラ

 色とりどりの花が町のあちこちに咲き始めた、春のことでした。
 寒々しい冬とはうって変わって、柔らかな色彩が町中に溢れます。わたしはそんな春の王都が大好きで、つい心も身体も浮き足立ってしまうのでした。

 春には一、二年おきに必ずいらっしゃる常連さんがお泊まりになられます。その方はこの国の、あたたかな地方でしか咲かない花の種を買い求めに来ていると以前話してくださいました。
 どうやら色んな植物の種を集めて、世界のあちこちを旅していらっしゃる方らしいのです。
 お名前は、クリスさん。

 昨夜この宿にこられたクリスさんが、一階へ降りてきました。
 小鳥が鳴く爽やかな朝、クリスさんはいつも通りの物腰穏やかな様子で微笑みながら、「おはようございます」と言ってテーブル席のひとつに腰掛けました。
 クリスさんは長い髪を流した男性で、太陽のようなオレンジ色の瞳をしています。細めた目がまるで狐のような方で、姿かたち全体から気品のようなものを感じる、不思議な方なのです。
 ですが、顔の半分は浅黒い痣に覆われ、右目は光を失っているそうです。

 わたしはお湯を沸かし、ポットとカップを温める準備を始めました。それから火をかけたフライパンにハムを並べ、卵を落としました。このお宿のパンはみんな自家製で、竈からパンが焼き上がる芳ばしい匂いが既に店内に漂っています。パンが焼けるまでの間に、新鮮な野菜をカットしたサラダをお皿に盛りつけ、でき上がった目玉焼きをサラダの隣に載せました。
 昔は父の仕事を手伝うことしかできなかったわたしも、手慣れた手つきで朝食の準備をするようになりました。

 そういえば、このお客様は父の代からこのお宿を使ってくださっている常連さんです。わたしにとっては子供の頃から知っているお客様ということになります。
 焼き上がったロールパンと一緒にバターとチーズをお皿に載せて、準備の整った朝食のトレーをクリスさんの元へ運びました。もちろん、一緒に用意した温かい紅茶も忘れずに。

     ***

 ありがとうございます。早速いただきます。
 この紅茶の香り、落ち着きますね。本当はこの味を楽しみにもっと来たいのですが、世界中を旅していると難しいです。また色々なところに行ってきたんですよ。
 聞きたいですか、レティシアさん? ああ、すみません。先代がいた頃の癖でつい……。
 今はこのお宿のご主人ですからね。失礼しました。

 このパンの味も、先代の頃から変わらず健在ですね。
 移り変わるものが多い世の中で、変わらないものがあると安心するんです。昔の様相が変わってなくなってしまうと、とても寂しい気持ちになってしまうので。こんなふうに思うのも年をとったせいでしょうか。いえ、実はこれでも結構年はとっているんですよ。

 ええ。また綺麗な花の種が見つかりました。
 これだけ持ち帰って植えれば、また花が故郷に増えます。
 故郷ですか? そういえばご主人にはまだ話していませんね。私の旅の目的と故郷のこと。
 楽しくも面白くもない話ですが、聞きたいですか?
 本当に客の話が好きなんですね。


 私の故郷はね、ここからずっと南にあります。
 大きな海を越えた先にある、小さな島国ですよ。
 エメラルドのような綺麗な色の海に囲まれていて、きっと世界で一番太陽に愛された場所です。そう思うくらい日差しがきつくて暑い場所ですけれど、風は不思議と気持ちよくて、そこかしこに花が咲いているんです。
 虹のように色とりどりの花が、浜の近くや森の中、民家の植木鉢や道端に咲いていて、花が島を覆い尽くしているような、そんな場所でした。

 花は故郷にとって大事な産業でもありました。
 本物の花を使った細工物や食べ物などがよく他国で売れたんです。その島にしかない植物もあって、固定の客が何度も島を訪れることがありました。

 子供の頃、私は周囲の大人に見守られながら育ちました。
 子供が大人の半数以下しかいなかったので、子供は特に大事にされていました。
 母はとても優しくて植物に詳しい人でした。父は厳格で無口な人で、仕事ばかりしていました。だから、あまりいい思い出がないんです。だから私は優しい母によく懐いていました。

 大人たちは皆優しく、私は何不自由のない生活をしていました。島の中を駆け回り、森を探検して、色の美しい海の中を魚と一緒に泳いだりもしました。友人とよく泳ぎの競争をしたこともありますね。大人になるにつれてやんちゃな遊びをすることは減りましたが、私には変わらず両親がいて、大人や友人も相変わらず優しかった。

 はい、私は幸せでした。けれど、幸せはそんなに長続きしませんでした。
 島に、大津波がね、やってきたんですよ。
 小さな島だった私の故郷は大津波に飲み込まれて、あっという間になくなってしまったのです。

 伝説? ああ、一夜で滅んだ謎が残る、古の「ビスカ王朝」のことですか?
 そういえば、私の故郷が滅んだ話と少し似ているかもしれませんね。

 私はそのとき、ちょっとした用事があって海の中にいました。そこから私の記憶はぷっつり途切れています。
 気がついたときには、私は島に投げ出されたように倒れていました。
 多分、津波に巻き込まれたんです。
 奇跡的に命は無事でしたが、思いきり顔の半分を打ちつけてしまったみたいで、顔にこの痣ができていたんです。右目もそのときに見えなくなりました。

 私が目覚めたとき、そこはもう住み慣れた故郷ではありませんでした。
 家はみんな崩れて木端微塵になっていました。広場にあった大きな木も真ん中から折れて、道に溢れていた花なんてひとつも残っていませんでした。
 町の人も、最初から誰もいなかったかのようにいなくなっていました。ようやく見つけてもみんな冷たくなっていて……。身体が元の形を留めていないものもありましたし、未だに遺体が見つからない人もいます。

 太陽の恵みの下、花と一緒に輝いていた楽園の姿は、もうそこにありませんでした。
 廃墟の中を、私は生きている人がいないか捜しました。けれど出てくるのはものいわない死体ばかり。私は生存者を捜しつつ、遺体を運びました。
 瓦礫を引っ繰り返したりしながら進んでいくと、変わり果てた両親も見つけました。
 冷たくなった母のことはもちろん悲しかったのですが、父の老いた姿がとても弱々しく見えて、ほとんど思い出もないのにとても悲しくなったんです。一度も笑ったところを見たことない父だったのに、不思議ですね。

 並べた遺体を見て、地獄だと思いましたよ。
 この世にこれ以上なんてないと思うくらいひどい光景でした。惨劇を引き起こした海は変わらずに美しいままで、あとは廃墟の山でした。
 私はしばらく遺体を運んだ砂浜にへたり込んで呆然としました。
 何も考えたくなくなってしまって。

 どれくらい時間が経ったのか分かりませんが、私はふと立ち上がり、遺体をみんな海に流しました。私の故郷は水葬にするのが普通でしたから。
 砂浜から引き摺って海に押し出していく作業をひとりで淡々と続けました。何かを考えるのが嫌だったから、それを無心で行いました。

 どれくらい時間がかかったのかはわかりません。寝食も忘れていましたから。
 自分の手で見知った人や両親を海に流すのは、結構きつかったですね。
 けれどやることを終わらせてしまうと、嫌でも考えてしまうんです。何もかも失くして、こんな場所でたったひとり生き残って、どうすればいいのか……。

 記憶には両親の姿、町の様子や人々の姿が思い出されるのに、現実にもうそれは存在しないんです。何もない、思い出だけがある島でこれから暮らすなんてできませんでした。だからといって住み慣れた故郷を捨てきることも、私にはできませんでした。
 途方に暮れていた私は、朝日が昇ったことに気がつきました。あの災害の後から時間なんて忘れていましたから、あれから何回日が昇ったのかは覚えていませんでした。

 ただそのときは朝がきたことに気づいて、青い海の向こうにオレンジ色の光がさあっと差し込んだのを私は見ました。まるで目が焼けるような鮮やかな色で、とても綺麗な景色でした。
 私はそのとき初めて泣きました。
 海があまりに綺麗で、自然と涙が流れてきたんです。さわやかな風が吹く静かな朝でした。
 視界がオレンジ色と青色に滲んで、ゆらゆら揺れて、心地良い波の音が耳の奥に沁み込んできました。

 太陽は変わらずに毎日昇るのに、昨日と同じものなんて何も残っていない。喪失感だけを抱いて、何も考えられなくなって、私はその後眠りました。
 もう限界だったんでしょう。私は心身ともに疲弊していて、きっと休みたかったんです。
 その場で力尽きたように横になって、私は泥のように眠りました。
 もう何もかもがどうでもよくなったんです。このまま永遠に眠れたら楽なのに、私は数時間後に目覚めました。不思議と身体は軽くなっていて、頭もすっきりしていました。
 私はそれから砂浜を離れて町に戻りました。これからどうしようと考え、ふと下を向いたときでした。地面に転がる瓦礫の下に、鮮やかな色を見つけたんです。

 花でした。
 ピンク色の小さな花が、そこにへたりと倒れていました。
 瓦礫の下敷きになっていたのですが、それが幸いしてか津波からは守られたみたいでした。花はまだ枯れきっていませんでした。でももうかさかさになり始めていて、すぐ枯れてしまうことは明白でした。
 私は急いでその瓦礫をよけ、花を傷つけないように土から掘り起こしました。急いで日当たりのいい場所へ植え直し、土をかぶせました。

 そこは前から何もない丘の上でしたが、そこまで津波は届かなかったようで、海水に浸からずに、以前と変わらない姿が残っていました。
 このままでは花が枯れてしまうと思って、私は山の上流に流れる川へ向かいました。
 海沿いの川は海水が混じっていて使えなかったので、山まで真水を汲みに行って花に水をやりました。それから私は何度もそこへ通い、花の世話をするようになりました。

 私はその花を助けることに必死でした。
 花といえども、同じ土の上で育ち、太陽の恵みの下で生きてきた同胞そのものでしたから。
 たったひとり生き残った私とその花を重ねていたのかもしれません。すべて失くした私が、無理やり生きるための目的でも作ろうとしたのかもしれませんね。

 花に水を与えてから、私は少しだけ前向きになりました。あの惨劇が起こってから初めて海へ釣りに行ったんです。あれからロクに食べていなかったのですが、空腹を感じたのは花を見つけてからです。私は魚を二匹釣り上げ、火で炙って食べました。
 花に水をやるようになって何日目でしたか。私はいつものように水を汲んで花を植えた場所へ向かいました。とても天気のいい、青天の昼間でした。

 私はその場所に行って思わず目を見開きました。
 あの萎れかけていた花が葉を青々と茂らせ、柔らかなピンク色の花びらを広げていたのです。
 鮮やかで美しい花がひとつだけ、命を長らえて咲いていました。
 たったひとつ生き残った花が、この地の土に根づいて綺麗な花を咲かせている。
 ひとつの小さな命は確かに生きて、ここに花びらを広げている。

 町はなくなり、人もみんないなくなってしまったけれど、ここの土も水もまだ死んだわけじゃない。山にも海にもまだ生命と恵みはある。この地の土でひとつの花が生き永らえたように、この島はこれから先いくつもの命を育むことができるはず。

 私は風に揺れるその小さな花と、丘から見える島を見渡して決心しました。
 また元のような美しい花の楽園を必ず取り戻すと。
 この地を捨てず、生きることも決して諦めないと。

 まだこの心臓と身体は動く。
 私の目は片方だけ生き残り、花や海の美しさを映すことができる。絶望が襲ってすべてを押し流してしまっていても、まだ何も終わっていない。私がまだ生きているのだから。
 私は魔法使いです。自然とともに生きるものです。
 だから自然の流れに逆らい、この生を諦め絶つことだけはやめようと思いました。

 私は、それまで失念していた隣の島へ向かいました。
 故郷はいくつもの小さな島が集まる島国で、私が暮らしていたのはその中で一番大きな島だったのです。周りの小さな島々の様子を見に行くと、津波は諸島全体を襲ったみたいでした。
 でも生き残っている人も中にはいて、私は彼らと一緒に復興を誓い合いました。

 私たちは瓦礫の撤去を始めました。撤去といっても数人で諸島中の瓦礫を手作業で避けるのは大変です。はい、私が魔法でみんな粉々にしてしまいました。国中の瓦礫を砂塵にするのは、結構大変でしたけれどね。
 植物を植えたり建物を建てたりするための土壌を整えるのには時間がかかりました。
 その話は、ちょっとまた長いので今度にしましょう。
 でも時間と根気をかけた甲斐はありました。ええ、土はちゃんと蘇ったのです。

 それから私は、あとのことを島民たちに託し、旅に出ました。
 作物の種を少しずつ持ち帰っては植え、生活に必要なものを揃えたりするために。
 それに、故郷に根づかせる花があまりないので、他国から花の種を持ち返って、それを故郷に植えているのです。

 色んな地方の花の種を集めました。
 ずっと東にある国で珍しい種を手に入れたこともあれば、商家や農家を転々としたこともあります。ロレスタの険しい山中を探し回ったこともありますよ。
 その甲斐あって、故郷には花が増えてきました。津波の被害があった場所は、少しずつ元の姿を取り戻しつつあります。
 植えた花が一斉に咲くとね、在りし日の故郷が少しずつ蘇ってきているような、そんな気がするんですよ。別の命のはずなのに、何だかとても懐かしくなります。

 そうそう。私と一緒に生き残った花は、同じ場所で毎年あの柔らかな花びらを咲かせるんですよ。辛いときはいつも、生き残ったその花を心に思い浮かべるのです。
 あの日の誓いを思い出しますから。
 ……ん? ええ、もちろん他国から観光や行商で来る人はいますよ。
 最初に来たとき、彼らは島の惨状に驚き、復興支援をしてくれるようになりました。そのおかげもあって、民が暮らしに困ることはありません。

 生き残った者たちとともに、少しずつ家を建てたり草花を増やしたりしていくのを見ると、この新しい町は前より豊かになるかもしれないと、希望が持てるのです。
 そのときあのプリマヴェラもきっと素敵なものになるでしょう。
 「プリマヴェラ」の意味ですか?
 私の故郷では、花園のことをプリマヴェラというのですよ。

 あの太陽と花の下で世界が輝いていた頃、世界は美しいものだと思っていました。
 でもそれは世界の一部で、残酷なことも悲しいことも世界にはたくさんある。
 それを知った今、そんな不公平で不条理な世界で生きることを苦しく思うときがあります。
 故郷が復興しても、失ったものは帰ってこない。たまに、無性に辛くなります。何故こんなことになったのかと考えてしまう。

 けれど、太陽が海の向こうで昇るのを見ると、それでも生きようと思えるのです。
 この世には悲惨なことがたくさんある。けれど同じかそれ以上に美しいものもたくさんある。
 こんな世界だとしても、それでもこの世界は美しいのだと、旅をしているうちに、そう思えるようになりました。

 だから世界の残酷なところを見るより、世界の美しいものを見つめられる今の自分に、私はおおむね満足しているんですよ。
 世界中の色んなものが、まるで虹のように輝く色とりどりの花のように、鮮やかな美しさに満ちている。それを思うと、私はまだがんばれると思えるのです。

 私はこれからも世界の美しいものを見つめながら旅をして、美しいものを増やすように、花の種を故郷に植えていきます。そうすればいつか、花の咲く楽園が蘇る日がくるのかもしれません。

 ……復興が終わったら私の故郷に行きたい、ですか?
 そういえばご主人も花がお好きでしたね。きっと私の自慢のプリマヴェラになりますよ。期待は嬉しいのですが、復興はまだまだ先です。

 でも、できるのならいつか見せてあげたいです。
 私の故郷の海と花は、それはもう、本当に綺麗ですから。

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